ツァラトゥストラはこう言った(上)

ツァラトゥストラはこう言った 上 (岩波文庫 青 639-2)

ツァラトゥストラはこう言った 上 (岩波文庫 青 639-2)


ひとまず上巻だけ読み終わりました。
上巻のほうは、ニーチェ思想の主要なもののうちの一つ「超人」がメインです。

内容を理解するのはなかなか難しかったんですが、
その中でも僅かながら理解ができ、そして印象に残ったという文を挙げていきます。

『まことに、人間は汚れた流れである。汚れた流れを受けいれて、しかも不潔にならないためには、われわれは大海にならなければならない。
 見よ、わたしはあなたがたに、超人を教えよう。超人は大海である。
あなたがたの大いなる軽蔑は、この大海のなかに没することができる。
 あなたがたが体験できる最大のものは、何であろうか?
それは「大いなる軽蔑」の時である。あなたがたがあなたがたの幸福に対して嫌悪をおぼえ、
同様に、あなたがたの理性にも、あなたがたの徳にも嘔吐をもよおす時である。
 あなたがたがこう言う時である。
「わたしの幸福は何だろう!それは貧弱であり、不潔であり、みじめな安逸であるにすぎない。
わたしの幸福は、人間の存在そのものを肯定し、是認するものとならねばならない!」
 あなたがたがこう言う時である。
「わたしの理性は何だろう!それは獅子が獲物を求めるように、知識をはげしく求めているだろうか?
わたしの理性は、貧弱であり、不潔であり、みじめな安逸であるにすぎない。
 あなたがたがこう言う時である。
「わたしの徳は何だろう!それはわたしをいまだかつて熱狂させたことがない。
わたしの善、わたしの悪に、わたしはなんと退屈していることだろう!
すべては貧弱であり、不潔であり、みじめな安逸であるにすぎない。』

『わたしが愛するのは、おのれの徳を、おのれの執着、おのれの宿命にしてしまう者、
こうしてかれはおのれの得のために、生き、また死ぬのである。
 わたしが愛するのはあまりに多くの徳を持とうとしない者だ。一つの徳は二つの徳にまさる。
なぜなら一つの徳は、宿命が引っかかる、より大きな結び目だからである。
 わたしが愛するのは、その魂が気前よくできている者だ。
ひとから感謝を求める気持もなく、返礼などを知らない者、
というのは、かれはつねに贈物をするのであって、自分のために何ひとつ残して置こうとしないからである。
 わたしが愛するのは、幸運な采の目がころがりこむと、これを恥とし、
自分の賭博は不正だったのではないかとたずねる者だ。
なぜなら、かれは没落を欲しているからである。』

『身体はひとつの大きな理性だ。ひとつの意味をもった複雑である。戦争であり平和である。畜群であり牧者である。
 あなたが「精神」と呼んでいるあなたの小さな理性も、あなたの身体の道具なのだ。
わが兄弟よ。あなたの大きな理性の小さな道具であり玩具なのだ。
 「わたし」とあなたは言い、この言葉を誇りとしている。
しかし、もっと大きなものは、(それをあなたは信じようとしないが) あなたの身体であり、その大きな理性である。
それは「わたし」と言わないで、「わたし」においてはたらいている。
 感覚は感じ、精神は認識する。それらのものは決してそれ自体で完結していない。
ところが感覚も精神も、自分たちがすべてのものの限界であるように、あなたを説得したがる。
かれらはそれほどまでに虚栄的なのだ。
 感覚も精神も、道具であり、玩具なのだ。それらの背後にはなお本物の「おのれ」がある。
この本物の「おのれ」が、感覚の眼をもってたずねている。精神の耳をもって聞いているのである。
 この本物の「おのれ」は常に聞いたり、たずねたりしている。
それは比較し、制圧し、占領し、破壊する。それは支配する。それは「わたし」の支配者でもある。
 わたしが歩むのはあなたがたの道ではない、あなたがた身体の軽蔑者よ!
あなたがたは超人への橋ではない!』

『あなたはあなたの友の前では、衣服をぬぎたいと思うのか?
あなたがありのままの自分をかれに見せるのは、あなたの友にとっての栄誉だというのか?
だがかれは、そいつはまっぴらごめんだ、と言うだろう!
 自分をすこしもおおい隠さなければ、ひとを怒らせてしまう。素裸になるのをおそれる理由は、
あなたがたにはありすぎるくらいだからだ!そうだ、もしあなたがたが神々だったら、衣を身にまとうのを恥じてもいい!
あなたは、友のためには、どんなにわが身を美しく飾っても飾りすぎることはない。
なぜなら、友にとって、あなたは超人への矢であり、あこがれであるべきだから。』

『まことに、この善の賞讃の力、悪の非難の力は怪物である。さあ、言ってごらん、わが兄弟よ、
誰がこの怪物を制圧してくれるだろうか?誰がこの怪物の千の頸にくびきをかけるだろうか?
 千の目標が、従来あったわけだ。千の民族があったから。ただその千の頸を結びつけるくびきだけが、いまだにない。
ひとつの目標がない。人類はまだ目標を持ってない。
 だが、どうだろう、わが兄弟よ、人類にまだ目標がないのなら、
人類そのものもまだなりたっていないというものではなかろうか?』

『あなたの同情は、推察でなくてはならない。あなたの友が、同情を欲しているかどうかがまずわかっていなければならない。
友があなたにおいて愛しているのは、非情の眼と、永遠に澄んだまなざしであるかもしれない。
 友への同情は、堅い殻のしたにひそんでいるのがいい。
同情を味わおうとして、噛めば歯が折れるほどでなければならない。そのくらいで同情に微妙な甘みがでてくるだろう。』

『結婚、とわたしが呼ぶのは、当の創造者よりもさらにまさる一つのものを創造しようとする二人がかりの意志である。
そのような意志を意志する者として、相互に抱く畏敬の念を、わたしは結婚と呼ぶのだ。
 これをあなたの結婚の意味、結婚の真理としなさい。
しかし、あのあまりにも多数の者、あの余計な人間たちが結婚と呼んでいるところのもの
ああ、わたしはそれを何と呼んだらいいか?
 ああ、この二人しての魂の貧困!ああ、この二人しての魂の不潔!ああ、この二人してのあわれむべき快適!
 こうしたすべてを、かれらは結婚と呼んでいる。そしてかれらは言う。自分たちの結婚は天の意志で結ばれたと。
 しかし、わたしはこの余計な人間たちの天国が好きでない。いや、わたしはこの天国の網にかかった動物どもが好きでない!
 あなたがたの最上の愛でさえ、狂喜した比喩であり、苦痛にみちた灼熱であるにすぎない。
それはあなたがたを、より高い道へと照らす松明であるべきなのに。』